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DeNA中川颯が現役引退、戦力外からの野手転向オファーを固辞「最後は横浜で終わりたかった」【2026年】

横浜DeNAベイスターズは9月30日、中川颯投手(27)の現役引退を発表した。9月29日に戦力外通告を受けたばかりの中川に対し、球団は育成選手としての野手転向を打診して慰留に努めたが、本人の意思は固く、「最後は横浜で終わりたかった」との思いから引退を選んだ。ここでは中川颯のプロ6年間のキャリアを振り返っていく。

桐光学園-立教大からドラフト4位、アンダースロー転向の経緯

中川は神奈川県横浜市出身。桐光学園高では1年生の頃から主力投手としてマウンドに立ち、エースで四番を任される存在だった。中学時代にアンダースローへ転向し、"下手投げの伝説"と呼ばれた渡辺俊介氏に憧れて技術を磨いたという。立教大進学後は1年時に第66回全日本大学野球選手権大会で最優秀投手賞を受賞するなど、大学球界でも注目される存在となった。

2020年10月のドラフト会議でオリックス・バファローズから4位指名を受け、プロ入りを果たした。

オリックス時代は1軍1試合のみ、戦力外から地元DeNAへ

オリックスでの3年間(2021~23年)、中川は1軍のマウンドにわずか1度しか立てなかった。2021年に1試合登板し1回を無失点に抑えたのみで、その後は目立った出場機会を得られず、2023年オフに戦力外通告を受けた。この時点で一度は引退も考えたというが、生まれ育った横浜を本拠地とするDeNAが手を差し伸べ、同オフに移籍が決定。「この球団で野球人生の終止符を打ちたい」と、その時から心に決めていたという。

2024年、まさかの日本一に貢献

DeNA加入1年目の2024年、中川は29試合(6先発)に登板し3勝0敗1セーブ5ホールド、57回を投げて防御率4.42という結果を残した。プロ初勝利・初セーブに加え、投手としてプロ初本塁打も記録し、打者としての意外な一面でも存在感を示した。

さらにこの年のクライマックスシリーズ・日本シリーズでは、リリーフの一角としてポストシーズンを支え、球団26年ぶりの日本一に貢献。前年までオリックスで1軍にほとんど定着できなかった投手が、移籍1年目でいきなり日本一のマウンドに立つという巡り合わせは、まさに「夢のような」展開だったと言えるだろう。

「最高の思い出」として本人が挙げるのは、優勝を報告する横浜市内でのパレードだったという。「生まれ育った街が、あの日はいつもよりずっと綺麗に見えた」と振り返っている。地元出身の選手が、地元球団の歓喜のパレードをその目で見たという事実は、他のどの実績よりも本人の心に深く刻まれたようだ。

2025~2026年、出場機会の減少と戦力外

2025年は27試合に登板し0勝1敗、23.1回を投げて防御率1.93という、キャリアの中でも最も安定した内容を見せた。しかし2026年は1軍登板がわずか6試合・9.1回にとどまり、防御率3.86。2軍では25試合・25.2回を投げて1勝1敗、防御率0.70、WHIP0.78・K/9 7.36・BB/9 1.40という際立った制球力を示していたが、1軍再昇格には結びつかなかった。この2026年の2軍成績を含む戦力外通告の詳細は当ブログの別記事でも取り上げている。

9月29日、DeNAは中川を含む10選手に戦力外通告を発表。その翌日、中川は現役引退を表明した。

引退の決断に至る心境の変化は、8月に1軍登録を抹消された時期に生まれていたという。本人はその時のことを「心が体に追いついていないというか、力が入らなくなっちゃったんです」と振り返り、これまでなら感じていたはずの悔しさが薄れ、リリースの瞬間に気持ちが乗らなくなっている自分に気づいたと明かしている。6年間を総括して「しんどい時間のほうが長かったので、長く感じました」とも語っており、決して順風満帆ではなかったプロ生活の実感がうかがえる。

野手転向オファーを固辞して引退を決断

球団は中川に対し、育成選手として野手転向する形での契約継続を打診したというが、中川はこれを固辞。「この先の人生について自分自身と向き合う中で」引退を決断したことを明らかにした。「スッキリしています。やり切った思いです」と言い切り、後悔のない様子で6年間のプロ生活に区切りをつけた。

3年前のオリックス戦力外時に一度は引退を考えていたことを踏まえれば、そこから地元DeNAで日本一を経験できた3年間は、本人にとって「夢のような」時間だったのだろう。22年間続けてきた野球人生を悔いなくやり切れたと思えたことが、今回の引退の最大の理由だったようだ。

通算成績

プロ6年間の通算成績は、63試合登板・3勝1敗・1セーブ・7ホールド、90.2回を投げて被安打107・本塁打6・与四球23・与死球8・奪三振56、防御率3.67。1軍にわずか1試合しか登板できなかったオリックス時代を経て、地元球団での3年間で通算勝利・セーブ・ホールドのすべてを積み重ねたことになる。

引退後は自身のブランド「HAYATE CRAFT」に注力か

引退後の展望について、中川は「やることをやってこの結果だったら仕方ないかなって。もっとやればよかったとか全くないです」と結果への後悔がないことを強調した。プロ生活と並行して手掛けてきた自身のレザークラフトブランド「HAYATE CRAFT」を展開。今後はこの事業に注力するかもしれない。また、「22年間野球漬けで頑張ってきたから、ちょっとゆっくりしたいですね」と、新たな一歩への心境を語っている。

まとめ

中川颯のキャリアは、ドラフト4位という決して低い評価ではない指名を受けながら、最初の3年間はほとんど1軍で投げられずに終わるという苦しいスタートだった。それでも一度は戦力外から拾われた地元球団で、まさかの日本一という最高の舞台を経験できたことは、本人が語る「夢のような3年間」という言葉に凝縮されている。

野手転向というセカンドチャンスの打診を固辞してまで現役引退を選んだ決断は、生まれ育った横浜のチームで有終の美を飾りたいという強い思いの表れだったのだろう。アンダースローという希少な投球スタイルでプロの舞台に立ち続けた6年間に、心からの敬意を送りたい。

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